毎週月曜日更新
父が警察官であった関係で、中学校から剣道を始め、岡山県鏡野高校、次いで国士舘大学へ…
全国高等学校体育連盟剣道専門部で二十数年間にわたり高校剣士を支える仕事に携わってきました…
中学校で剣道を始め、岡山県立西大寺高等学校に入学と共に本格的に剣道を習い、母校の体育…
私が剣道を始めたのは十五歳からでした。現在七十五歳。高知致道館少年剣道教室で少年剣道を…
昭和十六年、大日本帝国海軍の海軍飛行予科練習生となりました。十五歳のときです。郷里鹿児島…
終戦後、武道復活を夢見て、警察署等で稽古を始めた時代、父が板橋警察署勤務になった事が…
「しせいにしてうごかざるは、いまだこれあらざるなり」(人には誠心誠意真心を込めて接する…
私が剣道をはじめた龍驤館は熊本市の水前寺公園の近くにあり、戦後、故紫垣正弘範士が再建…
この言葉(かふくもんなし ただひとのまねくところ)は私の黒い前髪が存在をしていた頃に…
「好きなように自由に生きたらいい」。禅宗の寺に生まれ商家に嫁いだ闊達な母は五人兄姉妹の…
中学で剣道を始めて、清風高等学校(大阪)入学入部中寛和先生と出会い「否応なく」剣道に…
小学校の頃から竹刀を握り、早や60年近くになり、今でも習い始めのように、稽古や試合で…
「我以外皆師」。これは好きな言葉と云うより、これまでの剣道人生の中で実感してきたこと…
昭和四十八年、熊本県立阿蘇農業高校から阿蘇高校に着任したわたしは愕然としました。…
日本には素晴らしい言葉が数多く残されていますが、私の一番好きな言葉です。出展は聖徳太子…
実業団剣道を貫いた、私のサラリーマン人生が昨年終わった。紆余曲折の三十九年間、迷いや…
明治・大正・昭和時代、福岡県筑豊の炭坑王と称された伊藤伝右衛門は、地域発展の為には…
「百練館道場」とは、三井住友海上の剣道場の名である。一昨年新しく、駿河台の三井住友…
終戦後間もない昭和二十五年、毎週末になると白髭を蓄えた袴の老人が我が家を訪ねてきた。…
「3.11」こと平成二十三年三月十一日に発生した未曽有の東日本大震災。そして翌日には…
「打って反省 打たれて感謝」 恩師、井上正孝先生(剣道範士八段)から昭和五十八年…
私は、剣道の稽古をするとき安倍能成学習院長が剣道部の為に「忠恕」の文字を揮毫された…
この句は、私が、警察大学校で初任教育を受けていたときに、長野実さんという校長先生から…
私の好きな言葉は「忍」です。私が生まれ育った時代は日中戦争、第二次世界大戦、そして…
「五輪書」冒頭で宮本武蔵は、このように言い放ちます。その上で「此道において、太刀を…
今から六十年前、水戸市の山本市長が先頭に立ち、東武館小澤武館長が少年剣士百人を連れて…
ある日「その一言」という文に出会いました。それは「その一言で励まされ、その一言で夢を…
剣道は、礼節を重んじながら心身を鍛錬する奥深い武道であり、日々の稽古を通じて、単に…
私は、小学三年生より近くの木村道場にて剣道を始めた。一心不乱、休む日は一日もなかった…
一、私たちは、先祖を敬い、郷土を愛します。一、私たちは、心を正し、礼儀を尽くします…
早いもので、全国高体連剣道部の部長職を退いて三年になります。第二の人生では、剣の理法…
私の好きな言葉である。大学一年生の時に、鎌倉の円覚寺に一週間座禅をした経験がある…
昨年十一月、三井住友海上の新剣道場完成披露式典が神田駿河台で開催された剣道部員、OB…
戦国の武将織田信長の史跡を訪ねると、必ずこの言葉に出会います。「人間五十年、下天の…
遠くの山は青く見えるだけでどこから登るのかわからないが、山裾に車が到着したらそこには…
高校・大学生・青年の頃はインターハイやインカレ、全日本選手権大会での優勝を目指して…